田辺小兵衛俊重

田辺小兵衛俊重 略伝

田辺小兵衛俊重について

田辺小兵衛俊重 略伝

当寺を創立した田辺小兵衛(たなべひょうべい)俊重は、馬堀(まぼり)用水開削に身をささげた義人でもある。

田辺小兵衛俊重は、元和元年(1615)3月、馬堀村に生まれて、長らく名主職に就いた。

馬堀首塚 田辺小兵衛 略説

 寛永15年24歳で久福寺創立者となる。当時村は田面石高430石余を有していたが、灌漑・水害の備えが無かった為、毎年のように旱害水害に見舞われ村民はどん底の生活に苦しんでいた。

 この惨状救済のため身命を賭けして決心し数カ月間、家僕権兵衛と二人でひそかに昼夜兼行で測量をした。その結果、元町村西川土手より馬堀村(約一理)の用水路を開鑿に成案を得た。寛永16年上和納村と巻村両代官に工事陳情を繰り返し、最後にようやく内緒でと内諾された。

 これに力を得て領主長岡 牧野候に直訴した。当時の行政では新規事業を許可しない方針であったが、5年間に数十回の教訴が通じたのか遂に大事業着工の許可が与えられた。

 そして遂に宿願の用水の開発に成功した。この用水の水は田畑もうるおし、豊穣の秋を迎え村民は往年の生活苦に比べてその恩沢に感泣する。

 ところが同年5月大公儀所から新田開鑿官が来村し何れの許しを得て施工したか、これによって南部上郷の水害の危険性を生じた。数日後長岡役所へ呼び出され厳重の取調べを受ける。領主は大公儀所の叱責を恐れ、許可を与えたことはない、小兵衛独断事業と偽って証言をした。入牢下獄した小兵衛は非常の覚悟で、自身の命と引換えに新開用水の存置を願い出た。

 同年7月25日自殺を申し渡され30歳の若さで、自らの刃に伏した。その数年後、用水路は公に永久保存が許され変遷を経て現在に至っている。その後領主より、氏の功労を伝える石塔建立年々歳々の祭典を営む事が許された。爾後毎年祭典を重ね馬堀灯篭押し村祭りとして、近郷近在で有名な祭典である。尚、用水路取り入れ口で首をはねられその首が、用水堰の蓋を咥えた伝説話は今も語り継がれている。

田辺小兵衛俊重 略歴年表

  • 元和元年
    (1615)

    馬堀村に生まれる。

  • 寛永15年
    (1638)

    馬堀久福寺を建立創立者となる。

  • 寛永16年
    (1639)

    長岡牧野候に用水掘削を直訴。

  • 寛永18年
    (1641)

    蒲原郡に大旱ばつがおそい大被害を受ける。

  • 寛永19年
    (1642)

    大旱ばつの被害甚大の状態を見た長岡藩、小兵衛の熱意に応じ用水掘削工事許可の内諾を与えた。

  • 寛永20年
    (1643)

    8月用水掘削工事着工

  • 正保元年
    (1644)

    7月25日用水掘削工事完成

  • 正保2年
    (1645)

    幕府大公儀所役人長岡牧野領内巡見の際に、新用水路について藩に詰問され、藩では小兵衛独断工事であるとして、藩の責任を逃れた。

    7月25日罪を受け自殺を申渡さる。時に年令30歳目からの刃に伏された。

  • 年月不詳

    数年後用水路の重要性をみとめられ存続を許された。これにより馬堀村一帯関係村落の水不足が小兵衛の命とすりかえに解決された。

  • 正保2年より

    約1百余年間宝暦2年までの史実も語りもまったく無い事は罪人のあつかいを受けていたためと思う。

  • 宝暦2年(1752)

    馬堀村民は小兵衛の功績を称えるため石碑建立をときの領主三根山藩主に願い出た。藩主は大変良とされ建設費の一部を補助し年々供養することさえ奨励した。

    時代も変わり農村への行政がそのためにかえってやりやすく成った事と思われる。

  • 宝暦3年
    (1753)

    石塔建立許され、石塔のお題目は法華宗総本山本成寺25世貫長日珖聖人の執筆である。又、戒名も同聖人諡して長恩院筒覚日啓信士の称号を与えられた。

    8月25日109年の大供養を兼ねて近郷村民挙げて大祭典を執行し、依頼今日まで年々祭典を挙げてきた。

  • 昭和3年
    (1926)

    11月10日昭和天皇御即位大礼に際し尊霊の功績天聴に達し特旨を以て従五位に列せられる。

    茲に近郷村民相協力して拝殿建立し昭和4年8月1日竣工した。

  • 昭和36年
    (1961)

    秋9月第2室戸台風のため拝殿破壊された。

  • 昭和48年
    (1973)

    10月22日近郷村民の寄付により現在の拝殿竣工する。

  • 平成5年
    (1993)

    尊霊の恩沢に報い久福寺門徒一同、馬堀村民一体となり法華宗総本山本成寺84世貫主日桂聖人にお願いして、戒名最高位、長恩院筒覚日啓大居士の称号を与えられた。

  • 平成8年
    (1996)

    大石塔の歴史、久福寺所蔵の頌徳文の史実、用水路の保存等々、巻町文化財に価値ありと認められ巻町重要史蹟に指定された。正保2年(1645)7月25日以来実に355年後の事である。

  • 平成10年
    (1998)

    11月県道巻ー燕線道路改良と歩道新設のため、拝殿をのぞく全神社の施設移転余技なくされ移転工事を行った。

  • 平成11年
    (1999)

    3月国営農林省工事馬堀用水路大通川放水路交差に当たり、馬堀用水が100mサイホンとして地下に埋設された。

  • 平成16年
    (2004)

    363回忌にあたる大祭も近隣集落の協賛を頂き伝統の灯籠押し行事を復活し盛大に行われました。

  • 平成28年
    (2016)

    375回忌が行われました。

  • 令和2年度、令和3年度(2020~2021)は、新型コロナ災でお祭り行事は、大字馬堀役員だけで行った。

(文責 長恩院堂守 田辺 光栄)

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