沿革・歴史

久福寺の沿革・歴史

沿革

 当山の前身は、昔、このあたり周辺を流れていて地名となっている、萱刈川の舟筏航行の安全と水難救助の願望により、信仰心厚い船主が自船の帆柱の頭部を切り、祈願を込めて刻んだ観音像を、庵の前立佛として収めた携草庵が元であったと言われている。

 その後は嘉暦年間作の釈迦世尊を本尊に子育の観世音・水上安全の帆柱観音・三霊廟の安置により誠に隆盛を極めていたと伝えられている。

 当寺の創立は寛永15年で、開山は本成寺塔頭久成院3世日栄である。明治36年5月28日の夜半に堂宇を消失したが、それまでにも火災に羅り、古記録は一切烏有に帰している。僅かに、本村馬堀筒開鑿の偉人で当村田辺小兵衛の小伝に正保年間(1644~1648)同人の発願によって「堂宇改築の拳あり」との記録をみるのみである。

 現在の本堂は、大正2年溝口常善代に再建されたものである。

 総本山43世日壇、同65世日総はここで示寂された。

お寺の名前には、なぜ「山」が付く?

お寺の名前に「山」が付くのは、主に以下の2つの理由が挙げられます。

  1. 山は仏教において重要な場所と考えられていたため
  2. 山の中にお寺が建てられることが多かったため

仏教においては、山は神聖な場所であり、仏や菩薩が住む場所と考えられていました。そのため、山に寺院を建てることで、仏の教えをより身近に感じることができると考えられたのです。

また、古くから日本では、山は神聖な場所として信仰されていました。そのため、山の中に寺院を建てることで、信仰心をより高めることができると考えられたのです。

実際、日本には、比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺、中尊寺、西本願寺など、山の中に建てられた有名な寺院が数多くあります。

近年では、山の中にお寺を建てるケースは減ってきていますが、それでも多くの寺院が「山号」を冠しています。これは、山が仏教において重要な場所と考えられてきた歴史を反映したものと言えるでしょう。

なお、お寺の門を「山門」と呼ぶのも、同様にお寺が山に建てることが多かったからです。

参考ページ

田辺小兵衛俊重の史実や略歴

参考ページ

馬堀用水と長恩院石塔

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