馬堀用水と長恩院石塔
日照り続きをものともせず、満々と水をたたえて蒲原平野を潤す西蒲区巻の馬堀用水。350年余年前から近郷の田を支え続けているこの用水には、不思議な伝説が語り継がれている。
昔、馬堀村(現・西蒲区馬堀)は、慢性的な水不足に悩まされていた。同村の名主・田辺小兵衛は、西川から用水を引こうと長岡藩主などに陳情し、許しを得た。
しかし、調べに来た役人は「こんな高所では水は通るまい」と言い、水が流れなければ小兵衛の首をはねる事で工事を許可した。
正保2年(1645)年7月。完工し、通水のため門のふたを開けたところ、水は一滴も流れなかった。役人が大工に命じ用水の取り入れせきに板をはめて水をせき止めたのだ。
小兵衛は討ち首となった。ところが切り落とされた瞬間、生首は水に飛び込み、細工につかった板をくわえ宙高く舞い飛んだ。ほとばしり出た水は用水を潤し、以来、村では干ばつ被害を受けることはなくなった。
遺体は屋敷内に埋められた。その後109年たって、当時の領主から許しを得た村民らは、そこに石塔の「首塚」と「長恩院」と呼ばれるお堂を建て小兵衛を祭った。
以来、毎年8月下旬には小兵衛の偉業をたたえ、「首塚まつり」という祭典が盛大に行われている。