法華経のお話
『法華経』は、釈尊(お釈迦様)が亡くなって、五百年ほどたった頃(一世紀末~三世紀初頭)に、インド北西部で編集されました。インド言語で表された法華経は、中国で漢訳され、それが日本ではお経として漢訳を音読みとするという形で広まりました。法華経が古来「諸経の王」と呼ばれるのは「皆成仏道(かいじょうぶつどう)」(皆、仏道をなす)。すなわち、出家と在家の区別なく、男性と女性の区別なく、人間は誰でも一人残らず成仏できると説いているからです。法華経は、第一章から第二十八章から構成されています。第一章 序品では、無数の霊的存在である仏、如来、菩薩達が霊鷲山に集まり、世尊が眉間の白毫から放った一条の光が、過去・現在・未来、そして下は阿鼻大地獄から上は有頂天までのすべての世界を映し出す奇跡から始まります。
第十一章 見宝塔品 宝塔偈(ほうとうげ)
- 此経難持 法華経の教えを信奉しつづけることは難しい
- 若暫持者 もし少しの間でも信奉するものがあれば
- 我即歓喜 私(釈迦)は非常に喜びます
- 諸仏亦然 仏たちもまた当然そうです
- 如是之人 このような人たちは
- 諸仏所欺 仏から賞賛されるところです
- 是則勇猛 これはつまり、意志が固く勇ましい者です
- 是則精進 これはつまり、一生懸命に励む者です
- 是名持戒 これを戒を保つ
- 行頭陀者 清貧の修行者と名付けましょう
- 則為疾得 それゆえ
- 無上仏道 迷うことなく最高の悟りの道を得ているのです
- 能於来世 死後の世界で
- 読持此経 この経典を読み、信奉し続けていこうとするのが
- 是真仏子 是こそ真の仏の弟子であり
- 住淳善地 純粋なる善の地(極楽浄土)に安住するのです
- 仏滅度後 仏が入滅された後に
- 是諸天人 これこそ天人(天上界に住む人)や人々の住む地において
- 能解其義 その教えを理解しようとするのが
- 世間之眼 仏眼をそなえた覚えれる者なのです
- 於恐畏世 恐怖や心配に満ちた世の中で
- 能須臾説 少しの間でも法華経を説こうとすれば
- 一切天人 すべての天人人々が
- 皆応供養 皆、供養を捧げることでしょう